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最高裁判所第三小法廷 平成4年(オ)251号 判決

上告人 宮地孝典

右法定代理人後見人 宮地邦一

上告人 宮地邦一

同 宮地千重子

右三名訴訟代理人弁護士 加藤良夫 多田元

被上告人 医療法人愛生会

右代表者理事長 石黒道彦

被上告人 鳥本雄二

右訴訟代理人弁護士 大岡琢美

被上告人 福田浩三

右三名訴訟代理人弁護士 後藤昭樹 太田博之 立岡亘 中村勝己

主文

原判決中、被上告人医療法人愛生会、同鳥本雄二に関する部分を破棄し、右部分につき本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。

上告人らのその余の上告を棄却する。

前項の部分に関する上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人加藤良夫、同多田元の上告理由第一、第二及び上告代理人加藤良夫の上告理由について

一  本件は、被上告人医療法人愛生会が経営する病院で虫垂切除手術を受け、その手術中に起こった心停止等により脳に重大な損傷を被った上告人宮地孝典が、その両親である上告人宮地邦一、同宮地千重子と共に、被上告人愛生会とその医師である被上告人鳥本雄二、同福田浩三に対し、診療契約上の債務不履行又は不法行為を理由として、損害賠償を求めるものである。原審の確定した事実関係は、次のとおりである。

1  診療契約の締結

(一)  上告人孝典(昭和四二年四月一〇日生)は、昭和四九年九月二五日午前零時三〇分ころ、腹痛と発熱を訴えて、救急車で被上告人愛生会の経営する上飯田第一病院に搬送され、同病院の当直医によって経過観察の上加療を要すると診断されて入院したが、同日午後三時四〇分ころまでに、同病院の内科医である落合弘光及び外科医である被上告人鳥本の診察を受け、その結果、化膿性ないし壊阻性の虫垂炎に罹患しており、虫垂切除手術が必要であると診断された。

(二)  そこで、上告人孝典の両親である上告人邦一、同千重子は、同日、上告人孝典の法定代理人として、被上告人愛生会との間で、虫垂切除手術(本件手術)及びこれに付帯する医療処置を目的とする診療契約を締結し、被上告人鳥本によって本件手術が実施されることになった。

2  本件手術の経過

(一)  被上告人鳥本は、介助者として看護婦三名(山内慶子婦長、吉村恵子看護婦、池野悦子看護婦)、連絡係として看護補助者一名(沢地久子看護婦)を配置し、同日午後四時二五分、上告人孝典を手術室に入れ、再度診察した後、偶発症に備えて血管確保の意味で点滴を開始し、午後四時三二分ころ、上告人孝典の第三腰椎と第四腰椎の椎間にシンバール針を用いて、〇・三パーセントのペルカミンS(以下「本件麻酔剤」という)一・二ミリリットルを注入し、腰椎麻酔(以下「腰麻」ともいう)を実施した。右麻酔実施前の午後四時二八分の上告人孝典の血圧は一一二ないし六八水銀柱ミリメートル(以下、単位は省略)、脈拍は七八(毎分、以下同じ)であり、麻酔実施後の午後四時三五分の血圧は一二四ないし七〇、脈拍は八四で、いずれも異常はなかった。

(二)  被上告人鳥本は、麻酔実施後上告人孝典の腹部を消毒し、麻酔高を確認した上、午後四時四〇分、執刀を開始した。この時点の血圧は一二二ないし七二、脈拍は七八であった。なお、被上告人鳥本は、吉村看護婦に対して手術中常時上告人孝典の脈拍をとり五分ごとに血圧を測定して報告するよう、また、山内婦長に対して上告人孝典の顔面等の監視に当たるよう、それぞれ指示した。

(三)  被上告人鳥本は、マクバーネーの切開方法により開腹した後、腹膜を切開し、大網を頭側に押しやり、虫垂を切除しようとしたが、虫垂の先端は後腹膜に癒着して遊離不能であったため、逆行性の切除方法を採ることにした。被上告人鳥本がペアン鉗子で上告人孝典の虫垂根部を挟み、腹膜のあたりまで牽引した午後四時四十四、五分ころ、急に上告人孝典が「気持ちが悪い」と悪心を訴え、それとほぼ同時に吉村看護婦が脈が遅く弱くなったと報告した。そこで、被上告人鳥本は、直ちに虫垂根部をペアン鉗子で挟んだまま手を離し、「どうしたぼく、ぼくどうした」と上告人孝典に声をかけたが、返答はなく、顔面は蒼白で唇にはチアノーゼ様のものが認められ、呼吸はやや浅い状態で意識はなかった。この時点で、吉村看護婦から、血圧は触診で最高五〇であるとの報告があった。午後四時四五分ころ、手術は中止された。

(四)  被上告人鳥本は、池野看護婦に傷口をガーゼで保護するよう指示し、自ら手術台を操作して上告人孝典をトレンデレンブルグ体位に変えながら、看護補助者の沢地看護婦を大声で呼び、外科部長の被上告人福田及び外科医の山口晃弘に患者の容態が急変したのですぐに来て欲しいと電話で連絡するよう指示し、トレンデレンブルグ体位にした後、左手で上告人孝典の気道を確保しながら酸素マスクが顔面に密着するよう押し付け、酸素が毎分四リットルの割合で流れるように調節した上、右手でバグを握縮加圧して、上告人孝典の自発呼吸に合わせて気管内に酸素を圧入したが、次第にバグの加圧に抵抗が生じ酸素の入りが悪くなった。被上告人鳥本は、この操作を行いながら吉村看護婦に指示して、昇圧剤メキサン一アンプルを点滴器具の三方活栓から急速に静注させ、山内婦長に指示してカルジオスコープの電極をセットさせ、心電図のモニターによる監視を開始させた。モニターの波形はかなり不規則で心室性の期外収縮が見られ、低電位であったが、心室細動はなかった。上告人孝典は、漸次自発呼吸がなくなっていった。

(五)  午後四時四六分ころ、被上告人福田は、沢地看護婦からの電話連絡で直ちに手術室に駆け付けた。この時点で、上告人孝典の自発呼吸はほとんどなく、モニターの波形は不規則、低電位であり、心室細動に移行する前段階の状態を呈していた。被上告人福田は、被上告人鳥本から状況の報告を受けた後、吉村看護婦に副腎皮質ホルモン剤ソルコーテフ一〇〇ミリグラムの静脈急注とノルアドレナリン一アンプルの点滴液内の混注を指示し、自らは経胸壁心臓マッサージ(心マッサージ)を実施した。被上告人福田が到着してから約一分後に山口医師も到着し、緊急処置に加わった。山口医師は、被上告人鳥本からバグの加圧に抵抗があることを聞き、気管内チューブの気管内挿管を実施し、被上告人鳥本に代わって呼吸管理をし、被上告人鳥本は、被上告人福田と交代して心マッサージを行った。しかし、上告人孝典は、午後四時四十七、八分ころ、心停止の状態に陥った。被上告人福田は、再び被上告人鳥本と代わって心マッサージを行うとともに、直接心臓腔内にノルアドレナリン一アンプルを注射し、また、山口医師が酸素の送入に苦労しているのを見て聴診器で上告人孝典の肺を聴診したところ、喘息様の音が聴かれたので気管支痙攣によるものと判断し、気管支拡張のため、吉村看護婦にボスミン二分の一アンプルの右上膊部筋注を指示した。

(六)  午後四時五五分少し前、ようやく上告人孝典に心拍動が戻り、間もなく自発呼吸も徐々に回復し、午後四時五五分の血圧は九〇ないし五八、脈拍は一二〇となり、以後は血圧、脈拍ともに安定したが、上告人孝典の意識は回復しなかった。午後五時二〇分、被上告人鳥本は、本件手術を再開し、虫垂を逆行性に切除した。虫垂は先端が根部の倍くらいに腫れており、色は赤黒く、先端付近に膿苔が付着して化膿性虫垂炎の症状を呈していた。手術は午後五時四二分に終了した。

3  上告人孝典の現在

上告人孝典は、その後名古屋大学付属病院、国立名古屋病院、伊豆韮山温泉病院等に入院して治療を受け、昭和五〇年六月二二日からは自宅療養を続けているが、病態の改善は見られず、現在は、脳機能低下症のため、頭部を支えられた状態のもとで首を回すことができるだけで、発作的にうなり声、泣き声を発し、発語は一切なく、小便は失禁状態、大便は浣腸のみで排便し、固形物の摂取は不可能で、半流動物を長時間かけて口の中に運んでやらねばならない状態であり、将来にわたり右状態は継続する見込みである。

4  事故の原因等

(一)  本件麻酔剤を用いた腰椎麻酔に伴う医療事故の結果、脳機能低下症に陥る原因としては、(1) 本件麻酔剤によるアナフィラキシーショック、(2) 高位腰麻ショック、(3) 腰麻ショック、(4) 迷走神経反射によるショックがある。

(二)  アナフィラキシーショックとは、一般に抗原によって感作された個体に同一抗原を再度投与することによって見られる即時型反応のうち、急激な全身症状を伴うものをいい、皮膚の発赤、じんま疹様発疹、掻痒感、顔面と眼瞼の浮腫、声門浮腫、気管支痙攣が生じ、血圧低下、徐脈、呼吸困難となり、治療に反応しないときは心停止に至ることがあるが、本件麻酔剤の主成分である塩酸ジブカインによるアナフィラキシーショックは、一般に極めて稀である。

(三)  通常、高位腰麻というのは、脊髄くも膜下腔内に注入された麻酔剤が脳脊髄液中で拡散され、麻痺高が乳線以上に及ぶ場合をいい、これがために呼吸筋(肋間筋、横隔膜)が麻痺して、呼吸抑制、呼吸停止を来すことを高位腰麻ショックというが、これに陥ると一時間程度は自発呼吸が戻らない。

(四)  腰麻ショックとは、腰麻剤の影響により血圧が段階的に降下し、脳への血流が減少して脳中枢が低酸素症に陥り、呼吸抑制、呼吸停止となり、ついには心停止にまで至るショック状態をいうが、この血圧降下の機序は、(1) 腰麻剤により交感神経がブロックされて末梢血管が拡張し、その抵抗が下がって血圧が下がる、(2) 末梢血管が拡張すると、その血管内に血液が貯留されて心臓への静脈還流が減少し、心拍出量が減少して血圧が下がる、(3) 交感神経がブロックされて筋肉が弛緩し、血液を絞り出す作用が低下して、静脈還流が減少し、血圧が下がる、(4) 麻酔の効果がある程度以上の高さになると、心臓にいく交感神経がブロックされ、心拍数が減少して血圧が下がる、というものである。

(五)  迷走神経反射によるショックとは、腰麻剤のため自律神経の一方である交感神経がより強度に抑制され、他の一方の副交感神経である迷走神経が相対的に優位になった状態で、腹膜刺激、腸管牽引などの手術操作による機械的刺激が加わった場合に、迷走神経反射が起こり、急激な徐脈、血圧降下、呼吸抑制を来すことをいうが、副交感神経が優位になると気管支痙攣の発生しやすい状態になり、これによる低酸素症は迷走神経反射をさらに増強させ、ついには心停止、脳死に至ることもあり得る。

5  本件麻酔剤の添付文書(能書)

(一)  本件麻酔剤の添付文書(能書)には、「副作用とその対策」の項に血圧対策として、麻酔剤注入前に一回、注入後は一〇ないし一五分まで二分間隔に血圧を測定すべきことが記載されている。

(二)  外科医である北原哲夫は、腰椎麻酔につき研究するうち、腰麻剤注入後一五分ないし二〇分の間は血圧降下を伴ういわゆる腰麻ショックが発生する危険度が高いので、その間は頻回に血圧の測定をすべきであることを昭和三〇年代の早い時期から提唱し、昭和三五年には、二分ごとに血圧を測定すべきであるとの論文を発表し、昭和四〇年には同趣旨をラジオ放送を通じて講演したこともあり、昭和四七年には、同人の要望により、本件麻酔剤の能書に前記のような注意事項が記載されるに至り、次第に医師の賛同を得てきた。

(三)  しかし、北原医師の提唱にもかかわらず、昭和四九年ころは、血圧については少なくとも五分間隔で測るというのが一般開業医の常識であり、被上告人鳥本も、本件手術においては、介助者である吉村看護婦に対し、五分ごとの血圧の測定を指示したのみであった。

二  原審は、上告人孝典が脳機能低下症に陥った原因として、塩酸ジブカインによるアナフィラキシーショックは極めて稀である上、上告人孝典にはその初発症状である全身発赤、掻痒感、顔面、眼瞼の浮腫が認められないので、本件ではアナフィラキシーショックは否定され、上告人孝典の自発呼吸は停止後間もなく回復していることなどからすると高位腰麻ショックも否定されるとした上、上告人孝典は、本件手術当日の午後四時三二分ころ、本件麻酔剤の注入を受けた後、次第に呼吸抑制の外、上気道炎による発熱により換気量減少を来し、午後四時四〇分直後から血圧低下の傾向もあったため、低酸素症の状態になっていたところ、午後四時四十四、五分ころ、虫垂根部を牽引するという機械的刺激を機縁として迷走神経反射が起こって、徐脈、急激な血圧降下に陥り、直ちに酸素吸入の措置が採られたものの、低酸素症により増強された迷走神経反射のため、続いて起こった気管支痙攣により換気不全となり、また、一時期心停止の状態にもなり、心臓マッサージは継続されていたが、自発呼吸が回復した午後四時五五分ころまでの間、脳への酸素供給が途絶したか、又は著しく減少したため、重篤な後遺症を残した脳機能低下症になったものと認定した。

そして、原審は、昭和四七年には、本件麻酔剤の能書に麻酔剤注入前に一回、注入後は一〇ないし一五分まで二分間隔に血圧を測定すべきことが記載されるようになったが、本件手術のあった昭和四九年ころは、血圧については少なくとも五分間隔で測るというのが一般開業医の常識であったから、当時の医療水準を基準にする限り、麻酔剤注入後一〇ないし一五分まで二分ごとに血圧の測定をせず、五分ごとの測定を指示したにすぎないことをもって、被上告人鳥本に過失があったということはできないが、医師は、使用する薬剤について、その能書に記載された注意事項を遵守することは当然の義務であるから、この観点からすると、本件麻酔剤注入後一〇ないし一五分まで二分ごとに血圧の測定をしなかった被上告人鳥本には、注意義務違反があった、しかし、仮に二分ごとに血圧を測定していたとしても、上告人孝典が急に「気持ちが悪い」というまで、吉村看護婦も山内婦長も上告人孝典の異常に気付かなかったのであるから、果たしてより早期に異常を発見し得たかどうか明確でない上、上告人孝典の脳機能低下症は、迷走神経反射を機縁に発生した気管支痙攣のため、被上告人鳥本らの蘇生処置にもかかわらず換気不全に陥り、脳への酸素供給が不足したことが原因となったというべきであるから、被上告人鳥本の前記注意義務違反と上告人孝典の脳機能低下症発症との間には因果関係がない、と判断した。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和五四年(オ)第一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三頁、最高裁昭和五七年(オ)第一一二七号同六三年一月一九日第三小法廷判決・裁判集民事一五三号一七頁参照)。そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが(最高裁平成四年(オ)第二〇〇号同七年六月九日第二小法廷判決・民集四九巻六号一四九九頁参照)、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。

ところで、本件麻酔剤の能書には、「副作用とその対策」の項に血圧対策として、麻酔剤注入前に一回、注入後は一〇ないし一五分まで二分間隔に血圧を測定すべきであると記載されているところ、原判決は、能書の右記載にもかかわらず、昭和四九年ころは、血圧については少なくとも五分間隔で測るというのが一般開業医の常識であったとして、当時の医療水準を基準にする限り、被上告人鳥本に過失があったということはできない、という。しかしながら、医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである。そして、前示の事実に照らせば、本件麻酔剤を投与された患者は、ときにその副作用により急激な血圧低下を来し、心停止にまで至る腰麻ショックを起こすことがあり、このようなショックを防ぐために、麻酔剤注入後の頻回の血圧測定が必要となり、その趣旨で本件麻酔剤の能書には、昭和四七年から前記の記載がなされていたということができ(鑑定人宮崎正夫によると、本件麻酔剤を投与し、体位変換後の午後四時三五分の血圧が一二四ないし七〇、開腹時の同四〇分の血圧が一二二ないし七二であったものが、同四五分に最高血圧が五〇にまで低下することはあり得ることであり、ことに腰麻ショックというのはそのようにして起こることが多く、このような急激な血圧低下は、通常頻繁に、すなわち一ないし二分間隔で血圧を測定することにより発見し得るもので、このようなショックの発現は、「どの教科書にも頻回に血圧を測定し、心電図を観察し、脈拍数の変化に注意して発見すべしと書かれている」というのである)、他面、二分間隔での血圧測定の実施は、何ら高度の知識や技術が要求されるものではなく、血圧測定を行い得る通常の看護婦を配置してさえおけば足りるものであって、本件でもこれを行うことに格別の支障があったわけではないのであるから被上告人鳥本が能書に記載された注意事項に従わなかったことにつき合理的な理由があったとはいえない。すなわち、昭和四九年当時であっても、本件麻酔剤を使用する医師は、一般にその能書に記載された二分間隔での血圧測定を実施する注意義務があったというべきであり、仮に当時の一般開業医がこれに記載された注意事項を守らず、血圧の測定は五分間隔で行うのを常識とし、そのように実践していたとしても、それは平均的医師が現に行っていた当時の医療慣行であるというにすぎず、これに従った医療行為を行ったというだけでは、医療機関に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたものということはできない。

そして、原審が前記確定したところによると、上告人孝典には本件手術当日の午後四時三二分ころ本件麻酔剤が注入されたが、被上告人鳥本は、介助者である吉村看護婦に手術中五分ごとに血圧を測定するよう指示したのみであったため、執刀を開始した午後四時四〇分の時点で血圧が測定された後は、午後四時四十四、五分ころ上告人孝典の異常に気付くまで血圧は測定されなかったところ、上告人孝典は、虫垂根部の牽引を機縁とする迷走神経反射が起こる前に、午後四時四〇分直後から血圧低下の傾向にあったため、低酸素症の状態になっていたというのであるから(鑑定人宮崎正夫も、上告人孝典の口唇に認められたチアノーゼは、迷走神経反射に先行する潜在性の腰麻ショックによる低酸素症によるものと考えられ、迷走神経反射そのものによるものではないとしている)、午後四時四二分ないし四三分ころに、すなわち、二分間隔で上告人孝典の血圧を測定していたとしても、上告人孝典の血圧低下及びそれによる低酸素症の症状を発見し得なかった、とは到底いい得ない筋合いである。本件手術を介助していた吉村看護婦及び山内婦長が上告人孝典の異常に気付かなかったからといって、血圧の測定をしても血圧低下等を発見し得なかったであろうといえないことは勿論である(二分間隔で血圧を測定しなかったという医師の注意義務の懈怠により生じた午後四時四〇分から四五分にかけての血圧値の推移の不明確を当の医師にではなく患者の不利益に帰すことは条理にも反する)。また、上告人孝典の血圧低下を発見していれば、被上告人鳥本としてもこれに対する措置を採らないまま手術を続行し、虫垂根部を牽引するという挙に出ることはなかったはずであり、そうであれば虫垂根部の牽引を機縁とする迷走神経反射とこれに続く徐脈、急激な血圧降下、気管支痙攣等の発生を防ぎ得たはずである。したがって、被上告人鳥本には、本件麻酔剤を使用するに当たり、能書に記載された注意事項に従わず、二分ごとの血圧測定を行わなかった過失があるというべきであり、この過失と上告人孝典の脳機能低下症発症との間の因果関係は、これを肯定せざるを得ないのである。

これと異なる原審の判断には、過失及び因果関係についての解釈適用を誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法があるというべきであり、この違法は原判決中被上告人鳥本、同愛生会に関する部分の結論に影響を及ぼすことが明らかである。右の趣旨をいう論旨は理由があり、その余の点を判断するまでもなく原判決は右部分につき破棄を免れない。

上告代理人加藤良夫、同多田元の上告理由第六のうち被上告人福田に関する部分について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、被上告人福田の採った措置に過失があったとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。したがって、不法行為を理由とする上告人らの被上告人福田に対する請求は、理由がない。

以上の次第であるから、原判決中、被上告人鳥本、同愛生会に関する部分については、これを破棄し、進んで上告人らに生じた損害等も含め更に審理を尽くさせるために原審に差し戻すこととし、被上告人福田に関する部分については、上告を棄却することとする。

よって、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官可部恒雄の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官可部恒雄の補足意見は、次のとおりである。

医療過誤事件につき最高裁の判例に現れる「医療水準」についての所見といわゆる医療慣行との関係につき、原判決理由中の後記説示に鑑み、以下、法廷意見に付加して若干の所見を述べておくことにしたい。

判例は、かつていわゆる輸血梅毒事件につき、仮に担当医師に問診の義務があるとしても、原判旨のような問診は、医師に過度の注意義務を課するものである旨の論旨に対し、「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのは、已むを得ないといわざるを得ない」としたが(前掲昭和三六年二月一六日第一小法廷判決)、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問擬せられることとなる担当医師の注意義務の基準となるべきものは、診療当時の医学の最高水準を行く知見であるとすることはできず、一般的には、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である、とされる(前掲昭和五七年三月三〇日第三小法廷判決、昭和六三年一月一九日第三小法廷判決)。そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、(1) 診療に当たった当該医師の専門分野、(2) 当該医師の診療活動の場が大学病院、総合病院、専門病院、一般診療機関のいずれであるかという診療機関の性格、(3) 当該診療機関の存在する地域の医療環境の特性等を考慮して決せられるべきものであるが(前掲昭和六三年第三小法廷判決における伊藤裁判官の補足意見参照)、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行と異なることはいうまでもなく(右伊藤補足意見参照)、さきの輸血梅毒事件においても、先例は、医師の間では従来、給血者が信頼するに足る血清反応陰性の検査証明書や、健康診断及び血液検査を経たことを証する血液斡旋所の会員証等を持参するときは、問診を省略する慣行が行われていたから、担当医師が右の場合に処し、これを省略したとしても注意義務懈怠の責はない旨の論旨に対し、「注意義務の存否は、もともと法的判断によって決定さるべき事項であって、仮に所論のような慣行が行われていたとしても、それは唯だ過失の軽重及びその度合を判定するについて参酌さるべき事項であるにとどまり、そのことの故に直ちに注意義務が否定さるべきいわれはない」(前掲昭和三六年第一小法廷判決)旨を判示している。

以上によれば、人の生命及び健康を管理すべき医業に従事する者は、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるとはいえ、診療に従事する個々の医師につき、その専門分野、医療環境の如何を問わず、常に世界最高水準の知見による診療を要求するのは実際的でなく、そのため診療行為に当たる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には、診療当時の「いわゆる臨床医学の実践における医療水準」であるとされるのであり、更に右の医療水準を必ずしも全国一律の絶対的基準とされるものでなく、当該医師の専門分野、その所属する診療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等が考慮されるべきであるということとなろう。

しかしながら、ここで特に指摘を要するのは、「いわゆる臨床医学の実践における医療水準」とはいえ、それはあくまで診療に従事する医師の拠るべき規範であって、必ずしもこれに忠実とはいえない者をも含む「平均的医師が現に行っている医療慣行とでもいうべきものとは異なる」(前掲昭和六三年第三小法廷判決における伊藤裁判官の補足意見参照)ことである。「注意義務の存否は、もともと法的判断によって決定さるべき事項であって……慣行……の故に直ちに注意義務が否定さるべきいわれはない」(前掲昭和三六年第一小法廷判決参照)のである。

原判決は、原審証人宮崎正夫の証言によれば、北原医師の提唱にもかかわらず、昭和四九年ころは、血圧については少なくとも五分間隔で測るというのが一般開業医の常識であったことが認められるとし、これを主たる根拠として、「本件手術当時の医療水準を基準にする限り、腰麻剤注入後一〇ないし一五分まで二分ごとに血圧を測定せず、五分ごとの測定を指示したにすぎないことをもって、被上告人鳥本に過失があったということはできない」としたが、右は五分間隔での血圧測定が一般開業医の常識であったとの認定を前提としても、担当医師の過失の有無を判断する際の基準となるべき医療水準と平均的医師の間における医療慣行とを取り違えた違法があるものといわなければならない。

宮崎鑑定書中には、「そもそも手術という医療行為は麻酔科医という医師と、外科医という医師少なくともひとりづつによって遂行される……昭和四十九年という……時点において、麻酔科医の視点から期待すべき医療体制などは、上飯田第一病院には存在する筈はなかった」との記述も見受けられるが、本件で争われているのは、上告人孝典の手術に際し麻酔医を立ち会わせるべきであったか否かではなく、担当医である被上告人鳥本による介助看護婦への血圧測定の指示が、二分間隔とすべきであったか、五分間隔でよかったか、の一点にある。麻酔剤「注入後は一〇-一五分まで二分間隔に血圧を測定」すべきことは、当時すでに本件麻酔剤であるペルカミンSの添付文書(能書)に記載されて、次第に他の医師の賛同を得て来たこと、能書に記載された注意事項を遵守することは医師として当然の義務であることは、原判決自体も判示するところであって、二分間隔での血圧測定は、担当医である被上告人鳥本や血圧測定を指示された吉村看護婦にとって、何ら高度の知識や技術を要求されるものでなく、その意味で、いわゆる「臨床医学の実践における医療水準」の問題として先例の取り上げた事柄とは論点を異にする。また、麻酔医の立会いこそなかったが、本件手術に際しては、介助者として婦長を含む看護婦三名、連絡係として看護補助者一名が配置されていた程で、被上告人鳥本が能書の記載に従った指示さえ与えておれば、本件手術に際し、二分間隔での血圧測定が行われることに何の支障もなかったのである。

(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

上告代理人加藤良夫、同多田元の上告理由

第一被上告人らの過失と結果発生との因果関係に関する判断の誤り

原判決は、医師である被上告人鳥本が、本件虫垂切除手術のための腰椎麻酔において、麻酔剤ペルカミンエス注入後の患者の管理、監視義務を怠った過失に関して、ペルカミンエスの添付文書(能書)には、注意事項として、注入後一〇ないし一五分間は二分毎に血圧を測定すべきことが記載されていたのに、被上告人鳥本がこれを遵守せず、五分毎の血圧測定を指示したにすぎなかった点は、注意義務違反があったというべきであると判示しながら(原判決四七頁)、二分毎に血圧を測定しなかった注意義務違反と上告人宮地孝典(以下「孝典」という)の脳機能低下症との間には、因果関係が存在しないと判示した(原判決四九頁)。

しかしながら、右判示は、右のように注意義務違反と脳機能低下症との因果関係を否定すべき医学上の客観的、合理的な根拠を何等示していないのであり、判決理由自体に理由不備、理由齟齬の違法がある(民事訴訟法三九五条六号)。

さらに、右判示の因果関係に関する事実認定は、経験則に違背しているので、原判決は、客観的、合理的な経験則に従って正当な事実認定をしなかった法令の違背があり、その法令違背が判決に影響を及ぼすことは明らかである(民事訴訟法三九四条)。

特に、本件のような高度に科学的、専門的分野にかかわる医療過誤事件における因果関係の認定については、既に最高裁昭和五〇年一〇月二四日判決(民集二九巻九号一四一七頁)において「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」と判示され、判例上右の因果関係論が確立しているところ、本件事例において因果関係を否定した原判決の事実認定は、右判例上確立された採証法則に明らかに違反した法令違背がある。

以上のとおり、原判決には、理由不備、理由齟齬および判決に影響を及ぼす法令の違背の違法があるので破棄されるべきである。以下、その違法を具体的に主張する。

一 原判決は、孝典が重篤な低酸素性脳症に陥るに至った経過について、次のとおりの事実を認定した(原判決三六頁以下)。

1 孝典は、午後四時三二分頃腰麻剤の注入を受けた。

2 腰麻剤の注入後、次第に呼吸抑制のほか、上気道炎による発熱により、換気量減少をきたし、腹部切開手術に着手した午後四時四〇分直後から血圧低下の傾向はあったため、低酸素症の状態になっていた。

3 午後四時四四、五分頃、虫垂根部を牽引するという機械的刺戟を機縁として迷走神経反射が起こって、徐脈、急激な血圧低下に陥った。

4 直ちに酸素吸入の処置がとられたものの、低酸素症により増強された迷走神経反射のため、続いて起こった気管支痙攣により、換気不全になり、また、一時期心停止の状態にもなり、心臓マッサージは継続されていたが、自発呼吸が回復した午後四時五五分頃までの間、脳への酸素供給が途絶したか、または著しく減少した。

5 その結果、孝典は、重篤な後遺症(いわゆる脳死)を残した脳機能低下症となった。

そして、原判決は、以上の事実を認定するにあたって、特に着目した事実として、次の三点の事実をあげている。

イ 被上告人鳥本医師が、午後四時四四、五分頃、虫垂根部をペアン鉗子で挟み、牽引したとき、孝典が急に「気持ちが悪い」と悪心を訴え、それとほぼ同時に吉村看護婦が脈が遅く弱くなったと報告したこと。

ロ その時の孝典の顔色は蒼白で、唇にチアノーゼ様のものが認められたこと。

ハ 被上告人鳥本は、直ちに酸素吸入をしたが、次第にバグの加圧に抵抗を感じ、被上告人福田の聴診によって肺部に喘息様の音が聴かれ、孝典は気管支痙攣に陥っていることが判明したこと。

二 原判決の因果関係に関する判決理由の不合理さについて

1 原判決は、前記のような事実認定を前提として、孝典の重篤な低酸素性脳症の直接の原因となったのは、午後四時四四、五分頃に虫垂根部をペアン鉗子で挟んで牽引するという機械的刺戟を機縁として発生した迷走神経反射による徐脈、急激な血圧低下、続いて起こった気管支痙攣によって換気不全、心停止に陥ったことであるとし、腰麻剤ペルカミンエスの能書に従って、麻酔剤注入後二分毎に血圧測定をしていなかった注意義務違反と低酸素性脳症の結果との間には因果関係がないとしている。

2 ところで、右の迷走神経反射による「急激な血圧低下」と気管支痙攣が発生したと認定したこと自体、医学的、客観的根拠があるとはいえないことについては後に述べるが、それはさて措き、仮に右のような迷走神経反射が発生したとしても、原判決は、他方で、右迷走神経反射に先行して、「午後四時四〇分を経過直後からの血圧低下傾向」等による低酸素症が発症しており、右迷走神経反射もその低酸素症によって増強されたものであるとしている。(原判決三七頁)

そして、原判決が採用した鑑定人宮崎正夫の鑑定結果によれば、本件ショックは「低酸素症の条件下に、虫垂切除手術に伴う操作によって惹起された迷走神経反射による循環機能の破綻である」と結論しているのである。

3 原判決の事実認定によれば、被上告人鳥本が腰麻剤を注入したのは午後四時三二分頃であり、孝典を仰臥位にした後の午後四時三五分の血圧測定値は一二四-七〇、腹部切開に着手した午後四時四〇分頃の血圧測定値は一二二-七二であった。

そして、孝典が「気持ちが悪い」と訴え、被上告人鳥本が虫垂根部をペアン鉗子で挟んだまま手を離し、吉村看護婦に血圧測定値の報告を求めた時点である午後四時四五分頃の血圧値は最高五〇であった。第一審における被告鳥本本人尋問の結果(同尋問調書一〇九項、一一〇項)によれば、右時点において血圧は測定不能になり、触診により最高値五〇と報告されたものであることが認められる。ただし、触診により把握される血圧値は、一般に信憑性に乏しく、実際には右数値よりさらに低いものであった可能性も考慮しておく必要がある。

以上のとおり、午後四時四〇分頃から午後四時四五分頃までの間の血圧の変動は、測定されていないので明らかではない。しかし、原判決は、この間に血圧が低下し、低酸素症が発症したものと認定しているのである。

4 原判決が、右の先行する血圧低下傾向および低酸素症の発症を認めたのは、被上告人鳥本が、午後四時四四、五分頃、虫垂根部をペアン鉗子で挟み、牽引した時に、孝典が「気持ちが悪い」と訴え、顔色が蒼白で、唇にチアノーゼ様のものが認められた事実に着目したものであることは原判決理由の文脈から明らかである。

本件低酸素性脳症の原因を検討するうえで、右チアノーゼ(原判決によれば「チアノーゼ様のもの」)が認められた事実がもつ意味は重要であり、原判決がこの事実に着目したのは正当である。

すなわち、チアノーゼは、動脈血の酸素飽和度が低下して、デオキシヘモグロビンが血液一〇〇CCに対して約五g以上になったときに発現する皮膚、粘膜の暗紫青色調で、口唇、爪床、指尖に著名に出現する症状であり、それが出現するには、相当の時間の低酸素症あるいは著しい血圧低下のような循環不全がなければならず、迷走神経反射により瞬間的に心機能抑制、呼吸停止に陥ったような場合に、一、二分の短時間にチアノーゼが出現することはないのである。(宮崎鑑定書一七頁、原審証人芦沢直文の昭和六一年一〇月三日証人調書二四丁)

そして、右芦沢直文の証言によれば、孝典の口唇に軽度のチアノーゼが認められたことは、その二ないし三分以上前から血圧低下等の心肺不全が生じていたことを推認させるのである。(同証人調書二五丁)

また、前記宮崎鑑定によれば、右チアノーゼに加えて、本件事故による低酸素性脳症の後遺症の重篤さをも考慮すると、低酸素症を来すに要した時間は、五分あるいはそれ以上であったことをも推測させるというのである。(同鑑定書七頁)

以上の諸点を考慮すると、孝典の口唇のチアノーゼの存在は、午後四時四〇分を経過直後から午後四時四四、五分までの間に異常な血圧低下があったことを明らかに示しており、それによる低酸素症が本件低酸素性脳症の結果発生の重要な要因となっていることは否定しえない事実である。

それ故に、原判決も、午後四時四〇分(血圧測定時)を経過した直後から血圧低下の傾向があったと認定したのである。(原判決三七頁)

5 腰椎麻酔においては、次のような機序により血圧が著しく低下し、時としてショック状態に陥ることがある(いわゆる「腰麻ショック」)ことは医学上周知の現象であり、腰椎麻酔を実施する医師は当然その危険を予見すべきである。

〈1〉 腰椎麻酔により交感神経がブロックされ、末梢血管が拡張し、そのために末梢血管の抵抗が減少して血圧が下がる。

〈2〉 腰椎麻酔により交感神経がブロックされ、末梢血管が拡張し、拡張した血管内に血液が貯留されて心臓に戻ってくる静脈還流が減少し、心拍出量が減少して血圧が下がる。

〈3〉 腰椎麻酔により交感神経がブロックされ、筋肉が弛緩し、血液を絞り出す作用が低下し、心臓に戻ってくる静脈還流が減少し、心拍出量が減少して血圧が下がる。

〈4〉 麻酔の効果がある程度以上の高さになると、心臓を支配する交感神経がブロックされ、心拍数の減少と心拍出量の減少によって、血圧が下がる。

(以上につき、前記芦沢証人調書八丁以下)

そして、腰椎麻酔を実施した場合、血圧が低下し始めると、極めて短時間のうちに著しく低下することがあることが知られており、正常な血圧が一、二分間の短時間に測定不能の程度まで急激に低下することもある。(前記芦沢証人調書一〇丁)

特に、腰椎麻酔においては、麻酔剤注入後一〇分ないし二〇分間は、急激な血圧低下等の麻酔事故が発生しやすい危険な時間帯であり、二分間に一〇パーセントも血圧が低下したときには、さらに引き続き血圧が低下して、危険な状態になることが予測されうる兆候である(一〇分以内に危険な状態になるといわれている。)というのが医学上の知見である。

そこで、右の危険な時間帯には、少なくとも二分間隔で頻繁に血圧を測定するなどして、特に血圧の変動を厳重に監視し、急激な血圧低下に備え、危険な兆候が認められれば昇圧剤を投与する等適切な処置をすべきであるとされている。ペルカミンエスの能書の注意事項に二分間隔の頻繁な血圧測定をすべきであると記載されたのも、右のような確立した医学上の知見に基づくものである。

(以上について、原審証人北原哲夫の証人調書一三丁以下)

以上のとおり、本件において、午後四時四〇分を経過直後から血圧低下があったことは通常予測できることである。

6 そうすると、本件においては、仮に原判決が認定したように迷走神経反射による徐脈、急激な血圧低下およびそれに続く気管支痙攣が孝典の低酸素性脳症の直接の原因であったとしても、それに先行する異常な血圧低下、それに伴って二次的に発生した低酸素症を早期に発見することができれば、当然まずそれを改善すべく、手術を一旦中断し、昇圧剤、急速輸液、純酸素投与など適切な処置が優先してなされることになるので、低酸素症の状態のまま手術を進めることはない。(なお、右の血圧対策と純酸素の投与により低酸素症は短時間のうちに改善されうる。)したがって、その場合には、低酸素症の条件の下において右迷走神経反射の機縁となった虫垂根部をペアン鉗子で挟んで牽引するというような手術操作を進めることもないから、重篤な迷走神経反射を惹起することもなく、本件結果発生を未然に防止することができたであろうことが高度の蓋然性をもって認められるべきことは、医療の経験則に照らしても明らかである。

そして、もし、被上告人鳥本が、腰麻剤ペルカミンエスの能書の注意事項に従って、麻酔剤注入後一〇ないし一五分間(午後四時三二分頃に麻酔剤を注入したという原判決の認定によれば、午後四時四七分頃までの間)、二分毎の血圧測定を指示して、より注意深く血圧の変動を監視していたならば、腹部切開手術に着手した午後四時四〇分を経過後、虫垂根部をペアン鉗子で挟み、牽引した午後四時四四、五分までに二回の血圧測定により早期に異常な血圧低下を発見しうる機会があったのである。

もっとも、右能書の注意事項は、二分毎の血圧測定は麻酔剤注入後一〇分間でもよいと記載されているので、本件では午後四時三二分から一〇分後の午後四時四二分までに二分毎に測定すればよいとされる余地があるが、本件では、前記のように、午後四時四四、五分頃に孝典の口唇に既にチアノーゼが認められたことから、少なくともその二、三分以前から異常な血圧低下とそれに伴う低酸素症が発生していたものと推認することができるので、午後四時四二分の時点で血圧を測定しておれば、少なくとも明らかに異常な血圧低下を認めることができた可能性は高いというべきである。

そして、右のような血圧測定によって異常な血圧低下の傾向を認めた場合には、医師としては、直ちに手術を中止し、昇圧剤の投与並びに急速輸液による血圧低下の改善や酸素投与等の適切な処置を施し、血圧を正常な状態に回復させるとともに、低酸素症の状態の改善を行ない、それを確認したうえで、手術操作を進めるという慎重な行動をとるべきことになるので、前記のような血圧低下、低酸素症の状態のまま、漫然と虫垂根部をペアン鉗子で挟んで牽引するという手術操作をすることもなかったはずである。そして、低酸素状態が改善されておれば、前記のような重篤な迷走神経反射を惹起することもなく、孝典を低酸素性脳症に陥らせることもなかったというべきである。

言い換えれば、二分毎の血圧測定の注意義務の不履行の結果、異常な血圧低下による低酸素症が早期に発見されず、これに対する適切な処置がなされなかったことから、本件低酸素性脳症の結果発生が招来されたという関係が高度の蓋然性をもって認められるというべきである。

そして、前記最高裁昭和五〇年一〇月二四日判決に示された因果関係の理論に従えば、本件については、右注意義務の不履行と低酸素性脳症の結果発生との間には当然因果関係が認められるべきである。

しかるに、原判決は、低酸素症を来すような異常な血圧低下が先行しており、その低酸素症が前記迷走神経反射を増強して、気管支痙攣発症の要因となったことを認めながら、腰椎麻酔における異常な血圧低下の危険を予見し、前記ペルカミンエスの能書の注意事項に従って二分毎の血圧測定により血圧低下、低酸素症を早期に発見すべき注意義務を怠った被上告人鳥本の過失と本件結果との間の因果関係を否定したのであり、その判決理由自体に重大な矛盾があり、経験則に照らして客観的に合理的な理由を示しておらず、理由齟齬および理由不備の違法があるといわなければならない。

また、前記のとおり、二分毎の血圧測定の注意義務の不履行と本件低酸素性脳症の結果発生の間には、医療の経験則に照らせば、明らかに高度の蓋然性をもって因果関係が認められるのにもかかわらず、これを客観的、合理的な理由もなく否定した原判決の事実認定は、経験則に違背した違法がある。

7 なお、原判決は、吉村及び山内各看護婦が、孝典が「気持ちが悪い」と訴えるまで異常に気づかなかったのであるから、被上告人鳥本が、二分毎の血圧測定をしていたとしても、果たしてより早期に異常を発見しえたかどうか明確でないとしている(原判決四九頁)。

しかし、二分毎の血圧測定が注意義務として要求される理由は、目でみた観察や、触診では血圧低下の異常を確実に発見することができないからであり、その基本的な注意義務を履行しないで、看護婦らが「異常に気づかなかった」ことをもって、「異常を発見できなかった」ことの理由とするのは、本末転倒というべきであって、何等合理的な理由を示したことにはならない。この点において、原判決には理由不備、経験則違背がある。

さらに言えば、二分毎の血圧測定は、無侵襲であり、患者に何等の苦痛を与えず、特別な設備や高度な機械、技術を必要とせず、極めて容易に行なうことができるのであるうえ、その血圧測定によって得られる情報は重大な意味をもつのであるから、モニターにより自動的継続的に測定しない場合には、少なくとも二分毎の血圧測定を行なうことは、医師として決して怠ることを許されない、基本的な注意義務である。

そして、本件のように、腰椎麻酔のもとで、虫垂切除手術をするに際して、麻酔剤注入後一五分以内に著しい血圧低下が生じたというケースについては、医師が十分適切に頻回に、少なくとも二分毎に、血圧測定をしなかった場合には、次の六点を考慮して、その医師には麻酔剤注入後の血圧低下、低酸素性脳症の結果予見義務違反の過失並びに患者の監視、管理および適宜に適切な処置をする注意義務を怠った過失があり、その結果異常が生じたことを、一応推定すべきである。

すなわち、

〈1〉 腰椎麻酔剤注入後は、その薬液作用によって、多少を問わず必ず血圧が下降し、時には重大な血圧低下が生じることは医学的に明らかであること。

〈2〉 血圧の管理の方法としては、頻回に血圧を測定することが極めて重要であること。

〈3〉 血圧を少なくとも二分毎に測定しておれば、異常な徴候を早期に発見して、適宜に適切な処置をとることにより、血圧を正常に保つことができること。

〈4〉 多くの虫垂切除手術中の麻酔事故は、右のような血圧管理が十分に尽くされていないことから発生していること。

〈5〉 虫垂切除手術で、患者が死亡したり、脳性麻痺に陥ったりする事故が発生すること自体が極めて珍しいことであり、そのような事故が発生したこと自体から、何らかの初歩的ないし基本的な注意義務の懈怠があったことが推定されること。

(たとえば、証人宮崎の証人調書六五丁以下に同旨のことが述べられている。)

〈6〉 被上告人が主張するような迷走神経反射やアナフィラキシーショックは、その存在すらも疑問視する者もいるほどに、極めて稀であること。

右のような過失責任の推定は、最高裁昭和五一年九月三〇日判決(インフルエンザ予防接種訴訟、判例時報八二七号一四頁)および最高裁平成三年四月一九日判決(種痘の予防接種訴訟、判例時報一三八六号三五頁)においても認められた法理である。

原判決が、二分毎の血圧測定を実施していても、より早期に異常を発見できたかどうか明確でないと判示したのは、右の過失の事実上の推定の法理を適用すべきであるのに、これを適用しなかったものであり、この点においても、原判決は、右判例に違反し、法解釈を誤った結果、自由心証主義における経験則に違背し、重大な事実誤認を犯した違法がある。

また、午後四時四〇分から午後四時四五分頃までの具体的な血圧値の変動は不明であるが、それは、被上告人鳥本が二分毎の血圧測定という医師として当然遵守すべき基本的な注意義務を怠ったためであるから、いわゆる「証明妨害」に該当するというべきであり、具体的な血圧値が不明であることによって、上告人らが事実認定上不利益を受けることは著しく公平を失することになるので許されず、被上告人らが、二分毎の血圧測定の注意義務を履行していても、異常を発見することができなかったことを証明しない限り、右時間帯に異常な血圧低下が生じたことが認められる以上、その具体的な血圧値の変動が不明であっても、被上告人鳥本は異常を発見することができたものと推認すべきである。

この点においても、二分毎の血圧測定を履行しても、早期に異常を発見できたかどうか明確でないとした原判決は、証明責任に関する法解釈を誤り、法令違背を犯している。

第二麻酔剤注入後の管理、監視に関する注意義務の規準に関する法解釈の誤り

一 原判決は、腰椎麻酔における麻酔剤注入後の血圧の監視に関する医師の注意義務について、昭和四七年にペルカミンエスの能書の注意事項には、麻酔剤注入後一〇分ないし一五分間は、二分毎に血圧を測定すべきことが記載されるに至ったが、本件事故が発生した昭和四九年頃においても、血圧を少なくとも五分間隔で測定するというのが、一般開業医の常識であったと認められるとし、「本件手術当時の医療水準を基準にする限り」腰麻剤注入後一〇分ないし一五分まで二分毎に血圧を測定せず、五分毎の測定を指示したにすぎないことをもって、被上告人鳥本に過失があったということはできないと判示した。

二 しかしながら、原判決は、他方において「もっとも、医師が使用する薬剤について、その能書に記載された注意事項を遵守する事は、医師として当然の義務であるから、この観点からすると、被控訴人鳥本には注意義務違反があったというべきである。」と判示している。

医師が、その使用する薬剤の能書の注意事項を注意深く読み、これを遵守すべきことは「当然の義務」であり、最も基本的な最低限の注意義務であると言ってもよいであろう。

しかも、わが国における外科医の権威である北原哲夫医師の原審における証言によれば、わが国では、昭和二八年頃から脊椎麻酔に関する系統的な研究が開始され、昭和三三年五月三一日発行の日本医事新報一七七九号(わが国臨床医の間で最も広く普及している専門雑誌である)に掲載された「推奨すべき脊麻手技とその偶発症対策」(甲第二九号症)において、北原医師は、薬液注入後、特に最初の二〇分間は血圧の下降しやすい時期だから「頻繁に」血圧を測定すべきであるとしており、その「頻繁に」とは、少なくとも二分間隔程度ということを意味していたのである。

すなわち、測定するたびに測定器を装着する場合には、血圧測定の操作自体に約三〇秒を要するので、二分間隔で測定するということは、実際には殆ど連続的に測定していることになるし(同証人調書八丁)、前述のとおり、二分間に一〇パーセントも血圧の低下があれば、その後引き続き血圧が急激に低下する兆候と見るべきであるという医学上の知見にも適合するということができるのである。

そして、右の血圧測定の「二分間隔」の必要性は、昭和三五年発行の「治療第四二巻一〇号」所収の論文「脊麻ショックとその救急処置」(甲第三〇号証)において具体的に明示されるに至ったのである。

また、昭和三六年六月一日発行の「日本医師会雑誌四五巻一一号」(甲第三一号証)にも、以上のような成果を受けて、「麻酔事故に関する注意」として、腰椎麻酔中は特に血圧を頻回に測定すべきであるとされている。

さらに、北原医師は、昭和四〇年五月九日、日本短波放送の特別医学講座で「脊椎麻酔」について講話をした中でも、麻酔剤注入後、最初は二分おきくらいに血圧を測定すべきであると注意して、脊椎麻酔事故防止のための血圧の厳重な監視の注意義務についての知識の普及に努めている。右放送は、多くの臨床医が聴いている番組であり、また、この講話は、同年八月一五日発行の日本医師会雑誌五四巻四号に掲載され、さらに徹底した普及が図られている(甲第三二号証)。

このほか、北原医師は、日本全国各地で、外科医を対象に右同様の内容の講演を行ない、右のような知識の普及に務め、多くの外科医に受け入れられているのである。

以上のような成果を踏まえて、北原医師が中心になって作成された、昭和四七年改訂版のペルカミンエスの能書(甲第二四号証)には、麻酔剤注入後一〇ないし一五分まで二分間隔に血圧を測定し、下降の兆しを認めたらエフェドリンまたはカルニゲンを静注して昇圧を図るべきことが明記されるに至ったのである。

以上のような経過については、原判決もこれを概ね認めている(原判決四四頁以降)。

このような事情を考慮すれば、脊椎麻酔において、麻酔剤を注入後、少なくとも一〇ないし一五分間(北原医師によれば、二〇分間まで)は、血圧の低下が発生しやすい危険な時間帯であり、二分間隔に頻繁に血圧を測定すべきであるということは、通常の開業医が当然心得ておくべき基本的な注意義務であることが明らかであるというべきである。

そうすると、原判決が、昭和四九年頃には、脊椎麻酔において、五分間隔で血圧を測定するのが、一般の開業医の「常識」であり、「医療水準」であったと判示したのは、前記能書の注意事項を遵守することが医師としての「当然の義務」と判示したことと、明らかに矛盾しているといわなければならない。

薬害裁判では、能書の注意事項遵守が医師の「当然の義務」であることを前提として、製薬会社に対して、能書への「警告」の記載義務を課しているのであって、原判決のような論理をもって、右の能書の注意事項遵守義務を軽視するのは、これと矛盾し、著しく法的安定性を害することになるというべきである。

以上の点において、原判決には、明白な理由齟齬があるというべきである。

三 また、原判決は、前記の北原医師の証言により二分間隔の血圧測定の必要性についての医学上の知識が普及されて行った事実が認められるにもかかわらず、昭和四九年当時にも、血圧は五分間隔で測定するというのが、一般開業医の常識であったという証人宮崎正夫の証言を採用し、その「常識」をもって当時の医療水準であると認定しているが、これまた明らかに誤りである。

すなわち、本件事故が発生した昭和四九年当時、一般の外科医のうちどの程度の人数の医師が、五分間隔の血圧測定で足りると考え、実施していたのか、それが「常識」と言える程度の範囲であったのか、については何等客観的な資料はないのであって、右証人宮崎の証言は極めて主観的な評価に過ぎない。

しかも、証人宮崎は、他方で、昭和四〇年代に入ると、麻酔剤注入後一五分間位は血圧の変動が激しく、特に頻回に血圧を測定し、慎重に観察することを要するという認識は広く浸透しつつあったし、現実にその危険な時間帯には二分間隔で血圧測定がなされていたと証言し、かつ、現に自らも二分間隔の血圧測定を実践している旨述べているのであるから、同証人が言う「五分間隔が一般外科医の常識」という見方があったとしても、それが医師の注意義務の規準を示す医療の水準であるということはできない(同証人調書七四丁以下)。

また、証人宮崎は、麻酔科の専門医であり、必ずしも麻酔科医が関与しないような一般の外科医の診療の実状に通暁しているものではないと考えられるうえ、同証人は、昭和四九年当時に右の五分間隔の血圧測定が常識であったことを、決して明解に述べたものではない。(同証人調書七三丁では、教科書に明記されていたかどうか記憶は定かではないと述べている。)

すなわち、一件記録により明らかなとおり、ペルカミンエスの能書の改訂の年月日が本件訴訟関係人に明確になったのは、平成二年七月以降のことであり(なお、右能書に関する調査嘱託の回答がその後訂正されたのは、平成二年八月六日受付となっている。)、同証人の尋問当時には(平成二年六月二九日)、ペルカミンエスの能書がどのような経過で改訂されたのかについての資料が本件訴訟関係人および裁判所にも明らかになっていなかったのである。同証人は、昭和四九年頃以後に自分が示唆をして、ペルカミンエスの能書を改訂して、二分間隔の血圧測定の注意事項を明記させたような証言もしているが(同証人調書四〇丁、六八丁)、ペルカミンエスの能書の注意事項に二分毎の血圧測定の必要が明記されたのは、前記のとおり昭和四七年の改訂の時であるから、同証人は、明らかに「昭和四九年頃」という時点については、記憶違いをしているのである。

以上の諸点からも、同証人の右「常識」についての証言の信用性には疑問が残る。

本来、医師の注意義務の規準となる医療水準は、客観的に決定されるべきものであり、一部に二分間隔の頻繁な血圧測定の必要性についての認識が不足しているため、これを怠る医師がいたとしても、そのような低水準の医師の診療を注意義務の規準とすることは許されない筈である。そして、麻酔剤の能書の注意事項の記載は、客観的な医療水準、注意義務の規準を示すものであると言わなければならず、ペルカミンエスについては、前記のとおり、二分間隔の血圧測定がひとつの注意義務の規準であることを客観的に明示したものというべきである。

最高裁昭和六三年一月一九日判決(判例時報一二六五号七五頁)の伊藤正己判事の補足意見にも「医療水準は、医師の注意義務の規準となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とでもいうべきものとは異なるものであり、専門家としての相応の能力を備えた医師が研鑽義務を尽くし、転医勧告義務をも前提とした場合に達せられるあるべき水準として考えられなければならない。」とされている。

右の見地から本件を検討しても、ペルカミンエスの能書に前記のような注意事項が記載されていることや、二分間隔の血圧測定の必要性に関する知識が普及されていた事情を考慮すれば、五分間隔の血圧測定が一般の外科医の「常識」であったとして、これを医療水準とすることは、到底首肯されうるものではない。

まして、被上告人愛生会の上飯田第一病院は、総合病院であって、「一般の開業医」ではないのであるから、本件に右のような「一般開業医の常識」による医療水準を適用することも明らかに不合理である。

いずれにせよ、原判決は、いわば俗論たる「常識論」をもって、医師の注意義務の基準となる医療水準を定め、これを前提に被上告人鳥本の過失を否定したものであって、その法解釈の誤りは明白である。

なお、原判決は、鑑定人宮崎正夫の鑑定書添付資料4および鑑定人岩井誠三の鑑定書添付資料2の麻酔医横山和子の「脊椎麻酔の合併症」には、血圧測定の間隔について言及がないことを、五分間隔水準論の根拠にあげている。右論文は、昭和六三年九月一日に発行されたものであって、原判決が、「昭和五八年九月発行」としたのは誤りである。

右論文は、既にモニターが普及した昭和六三年当時に記述されたものであり、麻酔医の立ち会いやモニターの装着なしで、外科医のみで行なう脊椎麻酔下の手術を想定して、一般外科医のために注意すべき事柄を解説したものではないため、右のような血圧測定の方法まで具体的に記述していないに過ぎないと考えられるのであって、二分間隔の血圧測定の必要性を否定したものでもなく、五分間隔の血圧測定が医療水準であるということの根拠になるわけのものでもない。

したがって、原判決が、右論文を被上告人鳥本の過失を否定する根拠に引用するのは誤りである。

第三原判決の迷走神経反射原因論の誤り

一 原判決は、孝典の低酸素性脳症の原因として、虫垂根部を牽引するという機械的刺戟を機縁として迷走神経反射が起こり、徐脈、急激な血圧降下に陥り、低酸素症によって増強された迷走神経反射のため、続いて起こった気管支痙攣により換気不全となり、また、一時期心停止の状態にもなり、脳への酸素供給が途絶したか、または著しく減少したため、重篤な後遺症を残した脳機能低下症となったものと判示した。(原判決三七頁以下)

しかしながら、右認定は、医学上の経験則に照らし、合理的な根拠のないものであって、理由不備および経験則違背による法令違反の違法がある。

二 前記北原哲夫医師の鑑定書(甲第二七号証)によれば、虫垂根部をペアン鉗子で挟んで牽引したことにより、急激な血圧低下、呼吸抑制、心停止を惹起する迷走神経反射が起こるという可能性は、医学上の経験則からは認め難いとされている。

福島雅典医師の鑑定書(甲第二六号証)によっても、右手術操作によって右のように重篤な迷走神経反射が惹起される可能性を認めた医学文献は見あたらず、医学上の問題にはなっていないのであり、右のような意味における「迷走神経反射」という医学上の概念自体が確立しているわけではない。

また、原判決が採用した証人宮崎の証言によっても、虫垂切除手術操作によって心停止が発生するような迷走神経反射が起こることを確認した医学文献は捜し当てていないというのである。

証人芦沢直文もまた、豊富な麻酔手術の経験を通じても、腰麻下での虫垂切除手術において、迷走神経反射によって突然心停止を惹起するような事例の経験は皆無であり、他にもそのような事例があったという報告はないと証言している。(同証人昭和六一年一〇月三日調書二一丁、同年一二月一二日調書三丁)

甲第一七号証においても、下腹部外科での手術操作では、迷走神経を刺戟しないとされており、また、甲第二〇、二一号証においても、迷走神経反射によって、通常の健康な人間に心停止は起こらないということを理解することは重要であるとされている。

以上要するに、虫垂切除手術の場合の手術操作に伴って、急激な血圧低下、心停止を惹起するような迷走神経反射が起こる可能性があることについては、医学上確認されているわけではない。

前記宮崎鑑定が、いわゆる腰麻ショックによる血圧低下によって生じた低酸素症の条件下において、迷走神経反射が加わったため、心停止という循環機能の破綻に陥ったと推論しているのは、ひとつの仮説としては可能性を肯定しうるとしても、未だ医学的に高度の蓋然性があるものとして論証されているとはいえない。

原判決は、迷走神経反射原因論の根拠として、岩井誠三の鑑定結果をも採用している。同鑑定人は、虫垂根部の牽引操作に「一致して」、急激な血圧降下、気管支痙攣を思わせる病態が発現したという認識を前提として、これが迷走神経反射によるものと結論づけているが、前述のとおり、虫垂根部の牽引操作以前に、先行する血圧低下に伴う低酸素症によるチアノーゼが発生していたという本件の事実経過を無視しているものであり、虫垂根部の牽引操作に「一致して」急激な血圧低下が生じたという前提自体が誤っているというべきであって、この点については、前記宮崎鑑定に照らしても、右岩井鑑定は到底採用できないものである。

三 本件においては、前記チアノーゼの存在、極めて重篤な低酸素性脳症の後遺症が発生していること、手術の経過、午後四時四〇分以後午後四時四五分まで血圧が測定されていないこと等を考慮すると、右のような迷走神経反射の可能性よりも、既に述べたように、午後四時四〇分を経過後、午後四時四四、四五分頃、虫垂根部をペアン鉗子で挟んで牽引する手術操作をするまでの間に、既に腰麻ショックにより異常な血圧低下が生じ、低酸素症が数分程度継続するという重大な事態が発生していた蓋然性が高いと見るのがむしろ自然である。

なお、証人宮崎も、虫垂切除手術に着手する時点までに、孝典の麻酔高がTh4(第四胸椎)まで上がり、麻酔範囲の拡大により一層血圧低下、低酸素症の条件が増大していた可能性があること(同証人調書三八丁)、迷走神経反射の要因がなくとも、右のような低酸素症が一定時間継続することによって、本件のような低酸素性脳症が発生しうると(同証人調書四七丁)証言しているのである。

四 したがって、前述のとおり、腰麻剤を注入後二分間隔で頻繁に血圧を測定し、腰麻ショックによる異常な血圧低下を早期に発見して、適切な処置を講じておれば、本件低酸素性脳症の結果発生を未然に防止することができたというべきである。

原判決が、医学上の合理的な根拠もなく、本件の原因を迷走神経反射と認定し、二分間隔の血圧測定を怠った過失と結果発生の因果関係を否定した誤りは明白である。

第四腰麻実施前の安全配慮義務について

一 原判決は、被上告人鳥本が腰麻施行前に輸液をしなかったことについて過失がないとしているが、その過失を否定する根拠は薄弱であり、理由不備ないし理由齟齬、経験則違背の違法がある。

二 すなわち、原判決は、孝典が、本件手術の前日である九月二四日朝から咳が出て、体温が三七・五度あったこと、同日午前中に小児科の診察を受け、風邪との診断であったが、同日午後二時頃腹痛を訴え、同日夜薬を飲むと再び腹痛を訴え、咳をして嘔吐をしたこと、さらに午後九時三〇分頃と午後一一時三〇分頃にも腹痛を訴え、唇が紫色になったため、救急車で被上告人病院にかけつけたこと、翌九月二五日午前一〇時三〇分頃、落合医師により急性上気道炎と診断され、その時の体温が三七・三度であり、さらに午後二時三〇分には、三七・七度であったこと、以上の事実を認定している。

このような経過があれば、医師としては、孝典が十分な水分の経口摂取をしていない可能性があることを考慮し、仮に著明な脱水症状が認められなかったとしても、循環血液量の減少がありうることを予見して、本件手術に先立ち、水分摂取の状態について慎重に問診を尽くし、麻酔実施前に十分な輸液を施して、腰麻ショックの予防を図っておくべきである。

そして、原判決も認めるとおり、前記北原医師の鑑定書(甲第二七号証)および証人芦沢直文医師の証言では、孝典には手術前の輸液が必要であったことが指摘されており、また、前記宮崎鑑定においても、輸液の不足による循環血液量の減少が、腰麻ショックによる循環抑制と低酸素症を促進して、心停止に至る原因として働く可能性があることが指摘され(同鑑定書一〇頁)、本件についても、輸液が十分でなかったことが、ショックの発症および蘇生に影響した可能性があることが指摘されている(同鑑定補充書五頁)

さらに、鑑定人藤田昌雄の鑑定結果においても、同様に、発熱、脱水や経口摂取制限の場合に、腰麻による血圧の下降は、循環血液量の減少によって、正常循環血液量が保たれている場合よりも、より容易に、かつ、強く起こることが指摘されている。

ところが、本件においては、被上告人鳥本は、孝典を診察した際に、落合医師から風邪をひいているということと、急性虫垂炎と思われるという説明を聞いて、自らは孝典の腹部を触診したにとどまり、孝典やその保護者に対して、孝典の水分の摂取の状況等について問診をした形跡は本件証拠上全く認められないのである。

特に、被上告人鳥本は、落合医師から、孝典が急性上気道炎に罹患していることを聞いたのであれば、腰麻の場合には、施術中の咳により、麻酔剤が予期した以上に拡散し、高位麻酔ショックを惹起する危険もあるので(前記藤田鑑定書二九頁に指摘されている。)、自ら孝典の咽喉を診たり、咳の程度、喘息の既往歴などについて問診を尽くす必要があるというべきであるが、そのような問診もしていないのである。

そして、本件においては、右のような問診のうえ、輸液を行なう時間的余裕は十分にあったのである。

以上のとおり、必要な問診義務を尽くしておらず、かつ、腰麻ショックによる異常な血圧低下、低酸素症、心停止、重篤な低酸素性脳症の発生という、循環血液量の減少が要因として作用していたことを推認させる一連の症状が発生している事実がある以上、循環血液量の減少がなかったと認めうる証拠がない限り、循環血液量の減少に対する処置として、腰麻施行前に十分な輸液を施しておく安全配慮を怠った過失があるものと事実上推定すべきである。前掲最高裁昭和五一年九月三〇日判決および最高裁平成三年四月一九日判決の過失推定の法理は、本件にも適用されるべきである。

三 原判決は、孝典に対する病院食が小児全粥と指定されていたことを、右過失を否定する事情として摘示しているが、孝典がその粥をどの程度摂取したのかについては証拠上全く不明なのであるから、全粥の指定の事実自体は無意味である。

また、原判決は、被上告人鳥本が孝典を診察したとき、皮膚の状態を観察して、脱水状態ではないと判断したことを、右過失を否定する事情として摘示しているが、被上告人鳥本が前記のように問診義務を尽くしていないという本件の事実関係のもとでは、右の皮膚状態の観察についての、被上告人鳥本の供述は、客観的な裏付けのない単なる弁解でしかないというべきであり、右供述のみでは、孝典の循環血液量の減少の事実を否定することはできないというべきである。

さらに、原判決は、鑑定人岩井誠三が、孝典の診療録に、脱水を推認させる臨床記載がないことを根拠にして、多少の脱水があったことは推測させるとしつつ、本件において重要な因子として作用したとは考えられないとした鑑定意見を採用している。

しかしながら、前記のように問診義務が尽くされていないという事実関係のもとにおいては、診療録に脱水を推認させる臨床記載がないことから、そのような臨床症状がなかったことを推定することは許されないというべきである。まして、前記の宮崎鑑定、藤田鑑定、北原鑑定および証人芦沢の証言に照らせば、鑑定人岩井も推測する「多少の脱水」が、本件において重要な因子として作用しなかったと断定しうるような医学上合理的な根拠はない。

四 以上のとおり、原判決は、腰麻施行前の安全配慮義務として、輸液を怠った被上告人鳥本の過失の推定を覆すに足りる合理的な理由を示していない理由不備ないし理由齟齬の違法があり、また、経験則に従って、右過失を事実上推定すべきであるのに、その経験則に違反して事実認定をした違法がある。

第五腹部切開手術の着手が早期に過ぎた過失について

一 原判決は、本件手術が、腰麻施行後一五分間の循環および呼吸の不安定期に施行されたことになることを認めながら、その時期に着手したこと自体よりも、「患者に異常が発生した場合に備え、その監視体制を整え、これを早期に発見して、適切な救急処置をとることの方がより重要である」として、手術着手が早期に過ぎた過失を否定した。

二 しかしながら、本件のように麻酔医の立ち会いもなく、モニターもつけないで、腰麻を施行して、虫垂切除手術を行なう場合には、麻酔剤注入後一五ないし二〇分間の血圧低下等の危険な時間帯には、医師は、手術に着手することを控えて、二分毎の頻繁な血圧測定など、特に厳重な監視に専念し、異常が発生したときには、直ちに適切な処置をとりうるように備えているべきであることは、北原証人が証言するとおりであり(同証人調書六丁)、右時間帯に手術に着手してしまっては、原判決が、より重要であるという「監視体制を整え、早期に異常を発見して、適切な救急処置をとること」自体ができなくなってしまうのである。

腰麻剤注入後一五分位の間の不安定期には、「監視体制を整え、早期に異常を発見して、適切な処置をとること」がより重要であると言いながら、その不安定期である麻酔剤注入後約八分で手術に着手したことに過失がないという原判決の理由は、それ自体明らかに自己矛盾を来たしており、理由齟齬の違法がある。

三 また、原判決は、証人宮崎の証言を引用して、昭和四九年当時腰麻施行後短時間のうちに手術が開始される例が多かったことが認められるとしているが、過失を否定する根拠としては全く薄弱である。

現に、国立名古屋病院麻酔科部長である一審証人百瀬隆は、本件切開手術の着手について「えらい早いですね、手術を始めるのが。」と驚きの声ともとれる証言をして(同証人調書一七九項)、その着手が尚早に過ぎることを指摘しているのである。

前記宮崎鑑定にも、本件の「皮膚切開つまり手術の開始は過早に過ぎる。」(二九頁)とし、「皮膚切開から虫垂切除操作途中の手術は、この最も患者状態の不安定期に行なわれている。」と指摘しているのである。

本件手術において、右のような腰麻剤注入後一五分位の間の不安定期に、早期に手術に着手しなければならない必要性があったという事情は存在しないのであり、被上告人鳥本が、早期に手術に着手することなく、右不安定期には、患者の血圧等の状態の監視と管理に専念していたならば、本件事故の発生を未然に防止することができたのであるから、早期の手術着手自体にも過失があったことは明白であるというべきである。

原判決は、このような被上告人鳥本の過失責任を否定しうる合理的な理由を全く示していないのであって、明らかに理由不備ないし理由齟齬の違法があり、また、その事実認定に重大な経験則違背の違法があるというべきである。

第六適切な救急蘇生の処置を怠った過失について

一 原判決は、適切な救急蘇生の処置を怠った過失に関して、要するに、被上告人鳥本らが、証人芦沢の証言および宮崎鑑定において指摘されているような、より適切な処置をとらなかった事実を認定していながら、被上告人鳥本らのとった処置が「決定的に誤りであり」、右のより適切な処置をとっておれば、「孝典の脳機能低下症を回避できたとまで認めることはできない」として、被上告人らの過失責任を否定したのであるが、右判示は、医師の過失責任についての立証責任に関する法解釈を誤ったものであるうえ、その前提とする事実の認定についても、経験則に違背して、重大な事実誤認を犯している。

二 医師が、手術を実施中に、異常事態が発生した場合において、救急蘇生のために通常要請される適切な処置をとらなかったときには、適切な処置をとっていても結果の発生を回避することが不可能であったことを医師が立証しない限り、医師は免責されないというべきである。

すなわち、医師は、患者のためになしうる最善の医療を行なうべき診療契約上の債務を負担しており、その最善の医療を受けることは患者の基本的な権利である。それが手術等の医療行為の中で生じる非常の場合の救急蘇生措置であるときには、医師は、その具体的状況のもとで、患者の生命を救うためにとりうる最善の医療処置を尽くすべき注意義務は一層厳格に要求されるというべきである。

そして、右の最善の救急蘇生処置を尽くさなかったときは、そのこと自体が医師の債務不履行となり、医師は、最善の処置を尽くしても結果を回避することができなかったという無過失を立証しない限り、免責されないと解すべきである。

また、不法行為責任についても、右のような最善の処置を尽くさなかったときには、医師の過失が事実上推定されると解すべきである。

医療事故においては、当該医療行為に関する重要な情報の殆どが、それを行なった専門家である医師自身に独占されているのであるから、適切な医療処置がなされなかった場合において、もしそれがなされていても結果の発生を回避することができなかったことについては、医師側に立証の責任を負わせるのが衡平(公平)の観念に適合するというべきである。

原判決は、適切な処置を施したとすれば、結果が回避できたという極めて困難な、悪魔の証明ともいうべき立証責任を医療事故被害者である患者側に負担させようとする、明らかに衡平の観念に反する誤った法解釈をとるものであって、失当である。

三 本件においてとられた救急蘇生処置には、次のような不適切な点があったことが明らかに認められるのである。

1 原判決も認定しているとおり、被上告人鳥本は、孝典の血圧降下の異常事態に気づいた時点で、看護婦に命じて、メキサン一アンプルを静注している。

宮崎鑑定によれば、メキサンは、末梢血管の収縮を促進する昇圧剤として使用したものであるとしても、気管支痙攣を促進するように作用したことが考えられるので、この場合、メキサンよりもエフェドリン、カルニゲンを使用した方が適当であったことを指摘している。

また、証人芦沢は、メキサンの投与は、心拍出量の低下を招くので適当でなく、エフェドリンを使用すべきであったと指摘している。

もっとも、宮崎鑑定においては、被上告人鳥本が、メキサンを使用したのは、血圧降下が腰麻ショックによるものと判断したものであろうと善意解釈したうえ、腰麻ショックによる血圧降下に対する初動の処置としては、メキサンの使用も合理性があると述べているが、被上告人鳥本の一審における本人尋問の結果によれば、実際には、被上告人鳥本自身は、腰麻ショックと判断したためにメキサンを使用したのではなく、当初はアナフィラキシーショックか迷走神経反射と考えたというのである。(一審第八回口頭弁論調書の本人尋問調書二二二項)

そうであれば、当然アナフィラキシーショックや迷走神経反射に続く気管支痙攣の発症を予見すべきことになるから、前記宮崎鑑定に指摘されるとおり、メキサンの使用は、気管支痙攣を促進する危険があるので、むしろ有害であることを考えて、エフェドリン、カルニゲンを使用すべきであったことになるのである。

したがって、被上告人鳥本が、メキサンを使用したことには、いかなる意味においても合理性がなかったというべきである。

2 原判決も認定しているとおり、被上告人福田は、孝典が心停止に陥ったので、直接心臓腔内にノルアドレナリンを注射した。

しかしながら、宮崎鑑定(補充書)によれば、ノルアドレナリンではなく、アドレナリン(ボスミン)の方が適当であったとされており、また、証人芦沢も同旨の証言をしている。

心蘇生のために第一に選択されるべきアドレナリン(ボスミン)を直ちに投与しなかったことは、誠に不適切な処置であったといわなければならない。心蘇生という生命そのものに直接かかわる非常の緊急事態において、右の選択には医師の裁量の余地はないというべきであり、第一選択を誤った被上告人福田医師の責任は重大であるというべきである。

3 原判決も認定しているとおり、被上告人福田は、気管支痙攣に対する投薬として、吉村看護婦に命じて、ボスミンを筋注させた。

しかしながら、宮崎鑑定および証人芦沢の証言によれば、既に全身の循環に著しい障害が生じている状態のもとにおいては、右のような筋注では、即効的な降下は期し難く、当時、静脈路が確保されていたのであるから、それを利用して、静脈内に注射すべきであったことを、一致して明確に指摘されているのである。

したがって、一刻を争う救急蘇生の医療行為としては、被上告人福田のとった右の処置は著しく不適切であったことは明白であり、しかも、原判決の認定によれば、孝典の重篤な低酸素性脳症の直接の原因は、気管支痙攣であったというのであるから、右の不適切な処置は致命的なものであったということになる。

四 以上のように、本件救急蘇生処置では、幾つもの不適切な処置がなされており、到底、当時とり得た最善の医療行為が尽くされたということができないのであるから、被上告人らが、なすべき適切な処置を尽くしていても本件結果を回避することができなかったという特別な事情について立証しない限り、被上告人らの債務不履行の責任は免れず、かつ、過失があったものと推定すべきである。

この点において、被上告人らの責任を否定した原判決は、法解釈を誤ったものであり、明らかに失当である。

五 原判決は、被上告人鳥本が、午後四時四五分頃に異常を発見したとき、直ちに孝典をトレンデレンブルグ体位にしたうえ、気道を確保して、左手で同人の顔面に酸素マスクを当て、右手でバグを握縮加圧して、酸素の吸入をしたとの事実を認定している。

右の事実は、被上告人鳥本の一審における本人尋問中の供述部分に基づいて認定したものであるが、その供述の信用性については、これを疑わせるに足りる証拠があるのに、原判決は、これを無視しているものであって、右事実認定は明らかに経験則に反し、重大な事実誤認を犯している。

すなわち、成立に争いのない甲第七号証、一審における上告人宮地邦一および同宮地千重子の各本人尋問の結果によれば、被上告人鳥本は、本件事故後約一ケ月半を経過した昭和四九年一一月七日、右上告人らから本件事故の経過について説明を求められた際、孝典の異常に気づいた時に、心臓に手を当てたら、心臓が動いていないので、とっさに心臓マッサージをし、看護婦が酸素マスクで人工呼吸をした旨述べ、その発言は、右上告人らによって録音テープに収録されていることが認められ、被上告人鳥本の一審における供述と著しく食い違うのである。

そして、被上告人鳥本は、一審における本人尋問でも、上告人らに対して右のような発言をした理由について明確な説明をしていない。

ところで、腰麻ショックなどによって、呼吸抑制、心機能低下などの異常事態が発生したときの救急蘇生の処置としては、まず気道の確保、人工呼吸(酸素吸入)、心臓マッサージの順序で処置がなされるべきであるとされている。

ところが、被上告人鳥本が、本件事故後に、上告人らに対してなした前記のような説明では、まず被上告人鳥本が心臓マッサージに着手し、看護婦に人工呼吸をさせたということになるので、救急蘇生処置の順序を誤っていることになるのである。

医療の専門家である被上告人鳥本が、医療には全くの素人である上告人らから説明を求められたからといって、自ら行なった医療行為について、冷静さを失って、思い違いにより誤った説明をしたなどということは、およそ考えられないことである。もし、被上告人鳥本が、上告人らに対し、誠実にありのまま本件事故の経過を説明しようという態度をとっていたのであれば、冷静さを失うはずはないし、まして、右のようなことがらについて、思い違いなどをするはずもないのである。

また、被上告人鳥本が、上告人らに対して、殊更虚偽の説明をするために、自らは最初にまず心臓マッサージをし、人工呼吸は看護婦にやらせたというような医学的には不合理な説明をしなければならない理由もないのである。

したがって、右の発言こそが、本件事故においてなされた救急蘇生処置の真実の経過を述べたものであると考えられるのである。被上告人鳥本の一審本人尋問における右発言に反する供述は、自己の誤った医療行為を隠し、合理化するための虚偽の供述である疑いが濃厚であるといわなければならない。

以上によれば、被上告人鳥本の救急蘇生処置に関する一審本人尋問における供述部分は到底信用することができず、本件救急蘇生処置においては、気道の確保と酸素吸入が適切になされていなかった(少なくとも、後に山口医師が気管内挿管をするまでの間において)と推認すべきである。

そして、右の処置の不適切による過失もまた、本件低酸素性脳症の致命的な要因になったものと推認できるのである。

したがって、前記のような重要な反対証拠があるにもかかわらず、これを無視して、被上告人鳥本の一審本人尋問における供述を採用した原判決には、判決に影響を及ぼす経験則違背の違法がある。

第七よって、原判決は失当であるから、破棄されるべきである。

上告代理人加藤良夫の上告理由

一、被害救済は「法の正義」である。

甲第一〇号証の二は小学一年生の孝典君である。甲第一〇号証の五、六は、一八才の孝典君である。検甲第一号証を是非ご覧戴きたい。ビデオにおさめられているのは過去、現在、未来と続く孝典君の重い生活実態である。

盲腸の手術でこれほど悲惨な事態が生じているというのに、法は何らの救済もできないものなのだろうか。この事件で担当医は本当に何らの落度もなかったと言えるのだろうか。裁判所は被害者側にあまりに苛酷な立証責任を負わせていないか。事件の大切な筋を見失っていないか。原判決はごく普通の人達の法感情に合致しないばかりか、脊椎麻酔事故の防止を願う医師から不評をかっている。その一例として原判決に怒りを持つ医師(元東京逓信病院院長、現在日本臨床外科医学会会長北原哲夫医師)の手紙(末尾に添付)のコピーをご覧頂きたい。

二、一分(いっぷん)は重大である。

当代理人の三男(俊亮・しゅんすけ)は現在一〇才(小学四年生)である。当代理人は平成三年一二月八日夜自宅にて「俊ちゃん協力して」と頼み、息を止めて頑張ってもらう実験を行った。実験といっても、まず「用意」の合図で息を止め、苦しくなってきたら息を吐き出しながら、ぎりぎりまで我慢をする、そして頑張ることのできた時間を計測するという簡単なことである。その結果、彼は口をふさぎ自分の鼻をつまんで頑張っていたが、四五秒で息を吐き出しはじめて五秒後に新しく息を吸い込んだ。すなわち、五〇秒間空気を吸い込まなかったのである。この時、彼の顔は多少紅潮したが、口唇、指先等にチアノーゼは認められなかった。なお、この実験開始前の彼の脈拍数は一分間に七六であった。当代理人も一緒に同様の実験を試みたが、一分で息を吐き出し始めてその後一〇秒間頑張るのが精一杯であった。すなわち、一分一〇秒間は新しく息を吸い込むことはしていない。なお、この実験開始前の当代理人の脈拍数は一分間に六〇であった。

この事件の審理にあたる裁判官も一度は息を止めて時間を測ってみてほしい。人は、誰もが意識することなく呼吸をしている。しかし、ひとたび息ができなくなると何十秒とか一分という単位の短い時間が極めて重大な意味を持つことを身をもって知るべきである。

医療裁判では、呼吸停止、心停止の直前、直後の患者の状態や医師の迅速な処置が重要な論点となることがある。通常の社会においては、一分とか二分という時間がさほどに大きな意味を持つということは殆どないが救急医療が必要とされる場面では、三〇秒とか一分という極短かな時間の遅れが生命にとって決定的意味を持つことがある。脳細胞は、低酸素状態が三分とか五分続くとその機能を失い二度と回復することがないと言われている。医療行為にあっては、しばしば分(ふん)単位が極めて重大であるということをこの事件の審理にあたる裁判官は、十分に踏まえておいて欲しいと思う。

三、え!「盲腸の手術」で?

「盲腸の手術(虫垂切除術)」は、手術の中では最もポピュラーなものと言ってよい。殆ど総てと言えるほどの圧倒的多数の「盲腸の手術」は、何ら問題を起こすこともなく成功している。盲腸の手術で、死亡とか重い脳障害が発生した時には、「医療行為に何か問題があった」と一応考え、原因を調査すべきであろう。アナフィラキシーショックや迷走神経反射による心停止・呼吸停止は、虫垂切除術では、その存在すら疑わしいほど極めて稀(何百万例に一回あるかどうか)なものである。虫垂切除術にあたって、腸間膜や虫垂根部を引っ張る操作は数限りなくなされているし、虫垂を引っ張るのではなく「切断」までしているのに、迷走神経反射で心停止・呼吸停止などという事態は生じていない。

そもそも因果関係を考えるにあたり、蓋然性の高さを念頭に置く思考方法は、「司法」になじむばかりでなく、「医療」の世界でも用いられているものである。すなわち、医療行為によって何かが発生した時には、その結果を発生させる蓋然性の最も高い原因をまず念頭において検討するということは、日常診療の場面で常に用いられている思考方法である。したがって、本件事故を検討する時でも、まず、「脊椎麻酔剤の薬理作用に伴うごくありふれた血圧低下・呼吸抑制を見過ごしていたために重大な事態にたち至ったのではないか」ということを念頭に置いて検討がなされるべき筋道というものである。どうしてもそれでは説明がつかないという時にはじめて、極めてまれな他原因をも検討対象とすることになるのであるが、あくまでも、よく起きる筋道で説明が可能であれば、本件事故もそれによって発生したと考えて一向に構わないし、そう考えることこそ医学的にも合理性があり、決して不自然なことではないのである。

本件事故は、普通であれば、何でもなく成功できる「盲腸」の手術によって、とんでもない事態が発生し、重篤な後遺症が残ったものであり、本件は医療行為のどこかにきっと何か問題があったに違いないと強く推定が働く場面での事故である。

四、「皆で渡れば怖くない」?

本件事故が起きた上飯田第一病院は、名古屋にある大きな病院の一つである。昭和四九年当時でも外科医は複数いたし、モニター等の設備も整っていた。

原判決はこの病院で発生した事故に関して、「一般開業医」のレベルを引合に出してその責任を論じている。それ自体不当なことである。一般開業医のレベルについては、宮崎正夫証人の証言が根拠となっているが、宮崎正夫証人は昭和四九年当時の一般開業医の実情を調査したことはない。数多くの古い文献(書証)に照らして右証言部分は信用できない。

百歩譲って、少なくとも五分間隔で測るというのが一般開業医の常識であったとしても、これは明らかに患者の安全性を守らない危険な考え方であり、その是正は、添付文書を読むことによって、まことに容易にできたはずのことである。この誤った一般開業医の常識を法は容認してよいであろうか。これが法規範としての機能を有するところの「医療水準」の中身なのだろうか。

〈1〉 昭和四七年に改訂された添付文書に、二分ごとに血圧を測定すべきことが明記されている。

〈2〉 頻回に(少なくとも二分ごとに)血圧を測ることは、どこでもどんなに低レベルの医療機関でも可能であり、安全を確保するうえで極めて有効な手段である。

〈3〉 古くから、麻酔剤注入後一五分間は、血圧を頻回に測定すべきことが指摘され、すでに昭和三〇年頃より一般開業医向けの医師会のラジオ放送、医師会雑誌等で血圧は二分ごとに測定すべきことが強調されていた。

〈4〉 (昭和四〇年代にあっても)現に一分ごと、あるいは二分ごとに血圧測定をしていた医療機関、医師もいた。

〈5〉 血圧の異常は、血圧を実際に測定していない限り把握できない。

以上の諸点から、昭和四九年当時では、麻酔剤注入後一五分位は、二分ごとに血圧測定すべきことは、医師の最低限の注意義務であり、「医療水準」であったといわざるを得ない。

五、四時四二分の血圧は七四mmHg

小児につき軽度にせよチアノーゼが生じてくるためには、それ以前の二、三分前から著しい血圧低下(収縮期圧-血圧の上の値のこと-が七五mmHg以下)とそれに伴う呼吸抑制という事態が発生していなくてはならない。

本件で孝典に四四分、四五分の時点でチアノーゼが認められたのであるから、その二、三分前である四時四一、二分には著しい血圧低下とこれに伴う呼吸抑制の事態が発生していたことが医学上合理的に推認される。

他方脊椎麻酔剤注入後一五分位の間は、正常であった血圧が一分間に二〇mmHg以上下がることは決して珍しいことではないとされているので、四時四〇分に一二二mmHgであった血圧が四時四一分には九八mmHgに下がり四時四二分には七四mmHgに下がることが医学的に十分あり得ることとして考えなくてはならない。これをグラフ(このグラフは「顔色が真っ青、唇にチアノーゼのようなもの」「呼吸がやや浅い」ということから、潜在性の低酸素症が先行している事実をもとに作成したものである。)に示すとAのとおりとなる。脊椎麻酔下において、正常な血圧が二分位の間に測定不能に落ちることもあるとされている。このグラフAのように、血圧が直線的に下がることもあり、このような事態から重大な結果(血圧低下、呼吸抑制、呼吸停止、心停止)を回避するためには、頻回に血圧を測定し、異常を早い時点で把握し、適宜に適切な処置をして血圧を正常にもどしてやる必要がある。

このグラフの場合には、二分ごとの血圧測定をしておれば四時四二分の時点で、七四mmHgという異常な血圧を察知することができ、そうすれば医師は直ちに手術を一旦中断し、昇圧剤の投与、酸素の投与等の処置を実行することができたであろう。全身状態の改善を待って、手術を続行しておれば、本件のごとき事態は確実に回避できたのである。

四時四二分の□が何かを患者側に主張・立証させることは著しく不当である。四時四二分の□が何かについては、注意義務に違反した医療側が不利益に受けてしかるべきである。ことに本件ではチアノーゼようのものの存在から、それに先行して低酸素状態が存在していたことが明確に指摘できるケースであるから、四時四二分の血圧の値は著しく低かった(七四mmHg)であったと「一応の推定」を働かせるべきである。

原判決は、上告理由書に記したとおり最高裁判所の過去の判例に示された「医療水準」や「因果関係の立証」の考え方に背いている。また理由齟齬等の上告理由が存するので、破棄されるべきである。

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